大切な人を失ってしまったとき、
その方のことが忘れられない、
その悲しみから立ち直れないという悩みを抱えている方は沢山いらっしゃいます。
特に、おじいちゃんやおばあちゃんの死は、ほとんどの方が経験するものです。
では、実際にそこでどうしようもない悲しみに襲われたとき、
そこから皆は、いったいどうやって気持ちを整理しているのでしょうか。
今回の記事では、その世間の方々の声をご紹介いたします。
おじいちゃん、おばあちゃんが忘れられない。その悲しみをどう乗り越えるべきなのか
調べてみてまず見つけたのは、
という相談でした。
この相談をしている方は、おばあちゃんを亡くされたばかりの方で、
それに対して、様々な方が回答を寄せていました。
その回答の一部、特にご紹介したい部分を引用させていただきます。
引用元:井戸端会議
「ぱた」さんの回答
(前略)私の父が亡くなったときは数年の闘病の末でしたので自分でも死を受け入れられると思っていましたが、4ヶ月間毎日毎日号泣しました。
どうしようもない喪失感に不安で不安で仕方なく、大切な人の命が終わるという不条理に怒りを覚えていました。
でも、そんな日々もいつかは…変化します。身悶えして号泣する日々は何日か何週間か何ヶ月か何年か…いつかきっと変化して相談者様の心のどこかに落ち着き場所を見つけると思います。(後略)
「CHARADE」さんの回答
(前略)無理に乗り越えようなんて考える必要は、全然ないと思います。嘆き、悲しみ、偲んで過ごしたらいいと思います。ずっと悲しみを胸に収めたまま生きていかれたらいいと思います。(後略)
「心に夢を」さんの回答
(前略)祖父母が亡くなって3年ほど経ちますが、正直、今だ死を受け入れられておりません。
しかし、それで良いと思っています。
怖いのは、風化してゆくことと思います。
相談者様がお祖母様の事を思い続けていらっしゃる限り、お祖母様は いつも見守っていてくださいます。(後略)「ぷーぷー」さんの回答
(前略)死後の世界があるかどうか、本当はわからないけれど、私は、あると信じることにしています。それで、私が死んだら、私をかわいがってくれていたおばあちゃんに会える、私がかわいがっていた猫たちにも会える。会ったら、おばあちゃんには、ばあちゃん孝行できなかったことをごめんなさいって言おう、猫達には、もっとかわいがってあげればよかった、ごめんねって、抱っこしよう、と思っています。
大好きな人たちが、先に死後の世界で待っててくれると思うと、最近は、心穏やかです。時が解決してくれますよ。必ず。「mama」さんの回答
(前略)悲しくて、布団に入ると涙が止まらない日が、何年も続きました
ですが、祖母がなくなったときに、お坊さんが言ってくれた言葉で救われた思いがしました
「死に直面することは、人生のなかでもっとも辛いことです、ですが死をもって亡くなった方は、教えてくれているのです。人生に後悔無く、生きてください。。。」
この言葉を胸に、今は、祖父母に自慢できる孫で居るために頑張っています
相談者さんも、無理に悲しさをごまかすのではなく
受け入れて下さい。
16年も介護した、私ですら後悔ばかりです
結局のところ、何処までやっても、後悔はするものだと思います
亡くなった方を忘れずに、常に感謝の気持ちで居る事が、なによりの孝行だと思います「友」さんの回答
(前略)今はお婆ちゃんに恥じない様に、お婆ちゃんが喜んでくれるように
幸せな日々を過ごしてます。
日薬という言葉もありますが、今はとにかく悲しんで悲しんで、
故人を偲んで涙する・それでいいと思います。
それが落ち着いたら今度は故人に恥じぬよう、故人を偲びながら
前を向いて生きていこうと顔をあげればいいと思います。(後略)
などなど、全18件の回答が寄せられていました。
残された時間を、前向きに生きることが大切
全18件の回答すべてに目を通してみたのですが、
前向きに生きることが、自分にとっても、故人にとっても大切だということ。
つらくてぽっかり空いてしまった心の穴は、時間やこれからの出来事が少しずつ埋めてくれるということ。
上記のような回答が多く、皆さんがどうその悲しみを乗り越えてきたのかというのがよくわかりました。
ただ、筆者自身も約4年前におじいちゃんを亡くしているのですが、
やっぱりそのおじいちゃんに恥ずかしくないように、一生懸命生きることが何よりの供養になるのではないかと思っています。
また、おじいちゃんの死に誰よりもショックを受けていたのはおばあちゃんでしたが、
4年という時間がたったおかげか、最近は前よりも少し元気になってくれました。
ただ、おばあちゃんとはほぼ毎日のように会っているのですが、おじいちゃんの話にならない日は一度だってありません。
本当の意味で悲しみを乗り越えたわけではありませんし、
多くの回答にもありましたが、その悲しみを無理に乗り越えようとする必要はないと思います。
もし今この記事をご覧になってくださっている方の中に、まさに今も悲しみの渦中にいる方がいるなら、
亡くなってしまった方の為にも、その人の分まで、残された時間を一生懸命楽しんで生きてください。
おじいちゃんともっと話したかったな…
ただ筆者にも、今になって後悔していること、叶わなかったことがあります。
先ほど、筆者のおじいちゃんは約4年前に亡くなってしまったと言いましたが、
実は亡くなる10年以上前から、ほぼ寝たきりの状態でした。
小さい頃は、竹馬を作ってくれたり、竹とんぼを作ってくれたり、釣りに連れて行ってくれたり、
手先が器用で、本当に優しくて大好きなおじいちゃんだったのですが、
筆者が中学生にあがったころには、病気のせいでほとんど口を開くことも無くなってしまい、
また、私も学校が忙しくて、今ほど祖父母の家に行くことができませんでした。
ただ、もしも今おじいちゃんが元気に生きていたら、いったいどんな話ができたんだろうと思うと、それができないのがとても悔しいです。
なんでおじいちゃんが元気なころ、自分は子供だったんだろう…とも思ってしまいます。
どうしようもできないことなのですが、おばあちゃんから昔のおじいちゃんの話を聞くたびに、会いたいなあと思います。
ただ、自分もいつか死んでしまったら、その時にやっと会えると信じているので、
この楽しみは、その時までとっておきたいと思います(^^)
そして、まずはそれまでの残された時間を、大切に大切に生きていこうと思います。